先日、久しぶりに母校の大学を訪ね、学生時代にお世話になった教授とお会いしてきました。
近況報告や思い出話でひととおり盛り上がったあとは、最近の大学がどう変わってきたかについて教えてくださいました。
その中で、教授が少し困惑気味に話してくださったのが、大学における「合理的配慮」についてでした。
一律の指導から、個別の対応へ
合理的配慮とは、「障害のある人から社会のバリア(障壁)を取り除くための対応を求められたとき、負担が重すぎない範囲で、公平な機会を確保するために行う必要な変更や調整のこと」を言います。
国公立大学ではすでに義務でしたが、私立大学も2024年4月から義務化されました。
もともと身体障害のある学生への対応は行われてきましたが、教授の実感では、義務化を機に特に対応が難しくなっているのが、発達障害のある学生への対応だそうです。
私が学生の頃は、教授が言うことがルールで、全員がそれに従う以外の選択肢はありませんでした。
でも合理的配慮が必要となると、一律の対応ではよしとされなくなります。
たとえば、話を聞けば理解できるけれど文字にするのが苦手な学生さんや、耳が聞こえづらい学生さんの場合は、必要な配慮が分かりやすく、対応の方法も確立されているため、比較的進めやすいそうです。
教授が戸惑っているのは、特性が知られていなかった頃には「怠け」や「不真面目」と誤解されがちだった学生への対応です。
- 遅刻してくるのは、朝起きられない特性があるからかもしれない。
- 授業中に寝ているのは、睡眠障害のせいかもしれない。
- レポートや論文の提出が遅れるのは、時間の感覚がつかみにくいせいかもしれない。
以前なら「こら!」の一言で済ませていた場面でも、今はまず、なぜそうなるのかを理解する必要があります。
ただし、合理的配慮は、遅刻や居眠り、提出の遅れをすべて認めるという意味ではありません。
授業で身につけるべき内容は保ったまま、その学生に合った方法を一緒に考えていくものです。
配慮を受けるには、学生自身が大学に、どんな障害や特性があり、どんな配慮が必要かを申請します。
その内容は、学生が受ける授業の担当教員に共有され、教員は一人ひとりの状況を把握したうえで、個別に対応していくそうです。
大学でもそんな個別の手厚いサポートが求められる時代になったのかと、正直とても驚きました。
教員の方々の負担は大きそうですが、学びたいのに壁があって学べなかった人が学べるようになるのは、大切な変化だと思います。
正直、親としては「ホッとした」のが本音
グレーゾーンの息子の親の立場としては、とてもありがたいなと思いながら、教授の話を聞いていました。
これまで「大学に入ったら、高校までと違って、誰も手取り足取りフォローなんてしてくれない」「自分で自分を管理して自立できていないと、単位を落として留年することもある」と聞いていました。
そのため大学進学や大学生活に対して、ぼんやりとではありますが焦りや不安を抱えていました。
だから、大学でも個別の事情に寄り添ってくれる体制があると知ったとき、「これで大学に入っても、少しは過ごしやすくなるかもしれない」「留年や中退の心配が減るかもしれない」と、ホッとしました。
配慮を「その先」にどうつなげるか
と言いながらも、親としては大学卒業後のことも変わらず心配事のひとつです。
社会に出れば、勤務態度や時間管理は大学以上に意識することが求められます。
企業でも合理的配慮の提供は義務化されていますが、これも大学と同じで、本人と会社が話し合いながら、必要な調整を決めていく仕組みです。
だからこそ、大学での配慮が「困りごとを先送りしないための土台」になってほしい、と思うのです。
大学における合理的配慮は、頑張りたいけれどそれが難しい学生のために、階段や手すりを用意するための仕組みであり、当然ながら成績評価を甘くするためのものではなく、学ぶ機会を公平にするためのものだと理解しています。
大学という比較的安全な環境のなかで、
- 「自分はどんなことが苦手なのか」を知ること(自己理解)
- 「どう助けを求めれば、自分で課題をクリアできるか」を試すこと(助けを求める練習)
このふたつを身につける「練習の場」として配慮を活用できれば、社会に出てからも力になってくれるはず。
「配慮があるから安心」で終わらせず、息子が自分の特性と向き合い、少しずつ自分に合った工夫を見つけていけるような期間にしてほしいと思っています。



